1998 マルコ・パンターニ(メルカトーネ・ウノ)

パンターニは1992年プロデビュー。デビュー当初はなかなか勝てず、1993年ジロ・デ・イタリアではリタイアするなど苦戦が続く。

1993年のジロ・デ・イタリアで14/15ステージで連勝、総合成績でも2位に入る。その年のツール・ド・フランスでは総合3位でマイヨブラン(新人賞)を獲得する。

1995年のツール・ド・フランスではラルプディエズの山頂ゴールで優勝、総合13位。2年連続のマイヨブランを獲得。その後の世界選手権でも3位に入賞した。

だがその直後のミラノ〜トリノでコースを逆走してきたクルマと正面衝突。左足の下腿を開放骨折したため1996年はほぼシーズンを棒に振る。

1997年からは、メルカトーネ・ウノにスポンサーが替わったチームでフレッシュ・ワロンヌ5位、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュで8位など好調。だがジロ・デ・イタリアでは集団転倒でリタイアしてしまう。

しかしツール・ド・フランスではラルプデュエズの最短登坂記録をマーク、15ステージでも優勝、総合3位など復活をアピールした。

1998年はパンターニにとって絶頂期だったかもしれない。ジロ・デ・イタリアでは区間2勝、トンコフとの首位争いの末総合優勝、同時に山岳賞(マリア・ヴェルデ)も受賞する。

続くツールドフランスでは、15ステージのガリビエ峠でアタック、マイヨジョーヌを着るウルリッヒを逆転。そして総合優勝。この結果史上7人目のダブルツール(同じ年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスで優勝)を達成した。

1999年はヴェルタ・ア・ムルシア優勝、ジロ・デ・イタリアでもステージ4勝など好調を維持するが、赤血球濃度が基準値を超えてしまい、出場停止に。そのシーズンはその後のレースに出ることはなかった。

2000年のジロ・デ・イタリアで復帰する。チームメイトのガルゼッリをアシストし総合優勝に導く。ツールドフランスではバントゥ山ゴールのステージで優勝者アームストロングと一騎打ちして優勝するなど活躍した。

しかし、2001年以降ドーピング疑惑がつきまとい、レース会場でパンターニの姿を見ることが少なくなってしまう。

2004年2月14日パンターニ死亡。諸説ありますがパンターニの名誉のためここには書きません。詳しいことは工藤知子先生訳「マルコ・パンターニ〜ビラータの生と死」(未知谷刊)をご覧下さい。

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