1986,1989,1990 グレッグ・レモン

グレッグ・レモンは1981年プロデビュー。奇才シリル・ギマールがレモンの才能を見いだしたと言われている。

1983年、プロ入2年目の世界選手権で優勝を目前にしながら、ジョゼッペ・サロンニにスプリントで敗れた。しかし、経験の浅いレモンが実力で2位になったことで自信をつけ、翌年の世界選手権では念願のマイヨ・アルカンシェルを身につけた。

初参加のツール・ド・フランスは1984年。ローラン・フィニョンのアシストで走り、フィニョン、イノーに続いて3位に入賞した。

翌年イノーのチームLa Vie Clareに移籍。イノーのアシストを務めた。途中イノーの転倒負傷でレモンに逆転のチャンスがあることを確信しながらも、「来年はレモンのためにツール・ド・フランスを走る」と語るイノーのツール・ド・フランス5勝目のためにアシストを続けざるを得なかった。

1986年、確執の中でツール・ド・フランスを走るレモンとイノー。特にラルプディエズでの死闘は二人の関係を象徴するレースだった。結局レモンはパリでマイヨジョーヌを手に入れた。が、昨年の約束を反故にしようとするイノーとは対立していく。

期待されたシーズンのはずだった1987年。シーズン序盤の4月20日、休暇中ハンティングを楽しんでいたレモンに不慮の事故が起きる。従兄弟の散弾銃が暴発、レモンを直撃してしまう。この事故でレモンは1987~88年の2シーズンを棒に振ってしまう。

1989年は総合20位を目標にツール・ド・フランスを走った。最終日前日、マイヨジョーヌを着るフィニョンに遅れること50秒差の2位につけていた。最終日はシャンゼリゼにゴールする個人タイムトライアル。このタイムトライアルでレモンはフィニョンに58秒差をつけ勝利。総合でもわずか8秒ながらフィニョンを上回り、最後の最後でマイヨジョーヌを手に入れた。この8秒差は最も少ないタイム差となっている。またこの日のレモンの平均速度は54.545km/hにもなり、20km以上の個人TTの最速記録として今も破られていない。

翌年のツール・ド・フランスは手堅く走り、総合優勝してはいるものの、一度の区間優勝もないため、揶揄されることも多い。

翌年には「バスクの巨人」インデュラインの台頭でツール・ド・フランスでは勝てなくなってしまう。また狩猟事故の後遺症にも悩まされ、1994年に現役を引退した。

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