2007 2009 アルベルト・コンタドール

2003年オンセ・エロスキでプロデビュー。デビューの年のツール・ド・ポローニュでいきなり区間優勝を果たす。

しかし、2004年アステュリアス一周レースの第1ステージで突然意識を失い落車、緊急の開頭手術を受けることに。一時は生死をさまよったが、翌2005年1月のツアー・ダウンアンダーで区間優勝、同年3月にはカタロニア週間レースで総合優勝するなど復活のアピールをした。

その後もバスク1周では総合3位、ツール・ド・ロマンディでも総合4位、そして、ツール・ド・フランスでは総合31位の好成績でゴールした。

2006年、ツール・ド・ロマンディでは総合2位、ツール・ド・スイスでもステージ優勝するなど活躍したが、ツール・ド・フランス直前にチームがドーピング疑惑の渦中にまきこまれ、結局この年のツール・ド・フランスは参加できず。

2007年、ディスカバリーチャンネルに移籍。パリ〜ニースでは山頂ゴールのステージで優勝し最終ステージではレベッリンを逆転、総合優勝した。ヴェルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンでも総合優勝を獲得、チームエースの地位を獲得した。

ツール・ド・フランスでは僅差に苦しみながらも、24歳の若さ、2回目のツール・ド・フランス出場で総合優勝を獲得、同時に新人賞も獲得し、史上3人目のツール・ド・フランス総合優勝&新人賞獲得者となった。

’08年はチームがツールドフランスに不参加でジロとヴェルタを制覇。

2009年のツールドフランスでは、モナコで行われた第1ステージの個人タイムトライアル(ITT)において、ファビアン・カンチェラーラに18秒差の2位に入り、好調なスタートを切った。山岳賞部門では首位。第4ステージのチームタイムトライアル(TTT)では区間優勝した。

ピレネー山脈越え山岳ステージ第1ラウンドとなる第7ステージでは、強力なアタックを見せて総合争いのライバル達を引き離し、総合首位のリナルド・ノチェンティーニに対し、6秒差の総合2位に浮上。そして、アルプス山脈超え山岳ステージ第1ラウンドとなった第15ステージ、スイス、ヴェルビエの山頂ゴールで区間優勝、総合首位に立った。

アルプス山岳ステージが終了した直後に行われたアヌシー湖を周回する第18ステージの個人TTでは、第1ステージモナコで敗れたカンチェラーラに対して3秒差をつけて破り、2度目の区間優勝。また総合2位のアンディ・シュレクに4分11秒の差をつけ、この時点で2度目の総合優勝に大きく前進した。そして最後の勝負どころともいえる、モン・ヴァントゥがゴールの第20ステージでもシュレクを完全にコントロールし、2回目の総合優勝を果たした。

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