2012 ブラッドリー・ウィギンス

ブラッドリー・ウィギンス(Sir Bradley Marc Wiggins)はイギリス出身。2012年にツールドフランス総合優勝を成し遂げた。
サッカー少年だったブラッドリーは、バルセロナオリンピックでのクリスボードマンに影響を受け、自転車競技にのめり込んでいくことになる。

1998年、ジュニア世界選手権自転車競技大会で2000m」個人追い抜きで優勝。
2003年には、エリートクラス4000m個人追い抜きで優勝。
2004年のアテネオリンピックでは、4000m個人追い抜きで金メダル、4000m団体追い抜きで銀メダル、マディソンレースで銅メダルを獲得。
2005年、ジロ・デ・イタリア出場。
2007年、ドフィネ・リブレで優勝、ダンケルク4日間で区間優勝、ジロ・デ・イタリア出場、ツールドフランス第6ステージで敢闘賞を受賞した。
世界選手権では、4000m個人追い抜き・4000m団体追い抜き両方でアルカンシェル(世界チャンピオンジャージ)を獲得した。
2008年は地元マンチェスターで行われた世界選手権で、4000m個人追い抜き・4000m団体追い抜き両方で優勝。
2年連続で両種目の世界チャンピオンになった。
またこの結果、北京オリンピックの代表にも選考された。
8月の北京オリンピックではやはり、4000m個人追い抜き・4000m団体追い抜き両方で、さらにはマーク・カベンディッシュとペアを組んだマディソンレースでも金メダルを獲得した。

2009年以降、競技の軸足をトラックからロードへと移す。
ジロ・デ・イタリアを71位で完走したあと、ツールドフランスで活躍。
元々はスピードマンながらも山岳でも遅れず、タイムトライアルを中心にタイムを稼ぐ走りで、総合4位でフィニッシュ。
のちに総合優勝者アームストロングのドーピングによる資格剥奪により、繰上げ3位となった。

2010年はジロ・デ・イタリアの第1ステージで優勝、マリアローザを手に入れたが、その後山岳で遅れて総合40位でフィニッシュ。
続くツールドフランスでは総合23位だった。

2011年、クリテリウム・デュ・ドフィネ総合優勝。
ツールドフランスでは落車による鎖骨骨折でリタイア。
ブエルタ・ア・エスパーニャではファン・ホセ・コーボ、チームメイトのクリス・フルームらと接戦を展開、3位に入賞した。

2012年、春先のパリ〜ニースで総合優勝、ツールドロマンディでも総合優勝、クリテリウム・デュ・ドフィネ2年連続での優勝など、好調を維持。
迎えたツールドフランスでは、プロローグで2位につけると第6ステージまで2位をキープ。
カテゴリー1級の山岳ゴールの第7ステージでマイヨジョーヌを奪取。
第9ステージの個人タイムトライアルでは区間優勝、総合2位のカデルエバンスに1分57秒差をつけた。
その後のアルプス越えのステージで不調のエバンスを一蹴、ピレネー越えでもエースらしい走りを披露して他の追撃を許さなかった。
終盤第19ステージの個人タイムトライアルで区間入賞、さらに差を広げ、イギリス国籍の選手としては史上初の総合優勝を達成した。
地元で開催されたロンドンオリンピックでは、個人ロードで優勝。

2013年カタルーニャ1周で総合5位、ジロ・デ・イタリアは途中棄権。
ツアー・オブ・ブリテンで総合優勝、世界選手権個人タイムトライアルでは銀メダルを獲得した。

2014年はパリ〜ルーベ9位、ツアー・オブ・カリフォルニアで総合優勝、世界選手権では個人タイムトライアルでは金メダルを獲得した。

2015年、パリ〜ルーベを最後にロードレースから引退することを発表、そのパリ〜ルーベでは、18位でゴールした。
その後は2016年リオデジャネイロオリンピック4000m団体追い抜き金メダルを目指し、トラック種目へ集中することになる。
6月にはロンドン郊外のリー・バレー・ヴェロパークでアワーレコードに挑戦、54.526kmの世界記録を樹立した。

2016年、世界選手権ではかつてのコンビであるカベンディッシュとペアを組んだマディソンレースで優勝、4000m団体追い抜きでは2位となった。
続くリオデジャネイロオリンピックでは目標だった4000m団体追い抜きで金メダルを獲得した。
これで自転車選手としてのオリンピックメダル獲得数は8個で、史上最多となった。

2016年12月28日、自身のフェイスブックで引退を表明し、現役を退いた。

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